【塔ノ岳】光に輝く街並み

f:id:kick_the_future:20191120164346j:plain

山の中腹で展望がひらけた場所に出た。眼下には秦野の街並みが広がっている。その向こうには蜃気楼のようにうっすらと相模湾をのぞむことができた。

休憩を兼ねて立ったまま、しばらく街を見ていた。日差しを受けた眼下に見える街並みは輝いていた。家屋やビルの屋根や窓ガラスに太陽の光を反射させて発光しているのだ。小さな光が無数に集まり、その輝きはまぶしいと感じるほどであった。

街は煌々と灯る夜だけでなく、昼もこうやってにぎやかに光が乱舞しているんだなと思った。その光の下で誰もが皆、喜怒哀楽、いろいろな思いを抱えながら日々の暮らしを営んでいる。きっと光がこれほど降り注いでいるということを意識せずに。光とともにあるということなんて気づかずに。僕自身だって、こんなに光が降り注いでいるなんていうことは普段気にも留めていない。

生活を照らしてくれる光は間違いなく平等なのだ。それは自明のことであるかもしれないが、その気づきは僕を微笑ませた。一つ一つの光の下で、それぞれの異なる生き方がある。そんなことを思った。僕はなかなかその場を後にすることができなかった。

やがて夜が来たら家々は明かりを灯し、今とは異なる姿を見せてくれるだろう。夜は星々がここからきれいに見えそうだ。星の下に広がるたくさんの生活の灯り。

光の下で、光と共に、たくさんの人間が生きているのだ。

◇槍ヶ岳◇ 最後の梯子を登った先に見た絶景

f:id:kick_the_future:20190902202633j:plain

この目の前の梯子を上れば登頂達成だ。見上げる梯子の角度は、ほぼ垂直といってもいい。梯子の上にはだだっ広い青空があるだけだ。最後に設置されたこの梯子の数は31段あると事前に読んでいた登山本に書いてあった。たったなのか、そんなになのか、登る前にその数を知ったときは前者であったが、今見上げると後者の気持ちだ。とてつもなく高く、長く見える。
槍ヶ岳、最終地点。その名前が現すように、山頂部分は槍のように鋭角になって、空に突き出している。その一際目立つ山容は登山者の多くを魅了してやまない。この尖がった部分が最後の一番の難所といえ、ごつごつした岩場が登る者を威圧し、覚悟を問うてくる。槍ヶ岳の標高は3,180m。日が昇る前にふもとを出発し、すでに7時間近く歩き続けてここまでやってきた。酸素の薄さが疲労をより強く感じさせるのか、一歩一歩の足取りは重たくなっていた。
目線を上に向けたまま、ここを登るのかと思うと、心臓が高鳴り緊張が増してきた。だが、登頂はもう目の前。あと少しの頑張りであそこに立つことができる。僕は「集中だ、集中」と口で唱え、大きく息を吐いて精神を集中させる。前を登る登山者との間隔が十分開いているのを確認して、梯子に手を伸ばす。梯子を掴むと手が汗ばんでいるのに気づいた。恐怖感はここに来て強まっていることは確かだ。一度離してズボンに手のひらをこすりつけた。
もう一度掴む。ひんやりとした冷たさと鉄のざらりとした感触が手のひらに伝わってきた。右手も同じように梯子を掴む。そして地面から左足を離して、静かに梯子にのせた。大きく息を吐く。3点支持を忘れない、絶対に下を向いてはいけない、その2つを自分に言い聞かせた。右足も梯子に乗せて、上に目を向け「行くぞ」と静かに声を出す。
左足をさらに一つ上にかけて、梯子をつかむ右手にぎゅっと力を込め、左手を離して上の段を掴む。しっかり掴んだのを確認し、次は右手を離して上に移動させる。そして右足を一つ上へ運んでいく。「そうだ、それでいい。そうやって少しづつ上にあがっていくだけだ。」息遣いは荒く、必要以上に力んでしまうが、慎重に手と足を繰り出していく。きっと今の自分の顔をみたら引きつった顔をしているに違いない。楽しむ余裕なんていうのはこの時点ではなくなっていた。
一段一段登っていくうちに、果たしてどれくらいの高さに今いるのか気になってしまい、自らに言い聞かしていたことを忘れて、思わず下を覗き見てしまった。見えたのは、落ちたら確実にただじゃすまないと思うほどの急降下した崖であった。見てしまったことを後悔する。心臓が速いペースで高鳴るのが、手に汗が滲んでくるのが分かる。下に落ちれば崖下に真っ逆さまだ。命の保障はない。
反射的に上を見る。前を行く登山者は登りきったようで、もう見えない。しかし、まだ半分の距離も満たしていないことを知る。「なんでこんなとこ登っているだよ」と、全く理不尽な言葉が内部で自分を責める。登ると決めたのは紛れもなく自分自身なのに。「もう見るんじゃないぞ、とにかく進まないといけない」と言い聞かす。早く登ってこの恐怖から解放されたい。僕はもう必死だ。呼吸が荒くなっているのを感じ、落ち着けようとするも身体は正直だ、恐怖は居座り続けている。
それでも、一段、一段上へと上がる動作に意識を合わせ、確実に梯子を掴んでいく。息は荒いまま、上だけを見て登る。登ることだけに集中し、全神経を研ぎ澄ます。こんなに集中を必要とするのは、死がすぐそこにあるからという状況に他ならない。少しでも気を抜いたら、それが命取りになってしまうのだ。
ようやく最後の梯子を掴み、窮屈な姿勢になりながらも力一杯身体をこするように引き上げ頂上に到着した。やっと着いたという安堵感。それとほぼ同時に嬉しさがこみ上げてきた。怖さが増していた分、解放感は大きかった。高所恐怖症であるとの自覚はあるが、まさかここまで恐怖を感じるとは思わなかった。
頂上部は思っていた以上に狭かった。少しの間、膝をついたまま呼吸を落ち着ける。恐怖を感じつつも、足に力を込めて立ち上がった。その名の通りここは槍の先端、周囲はスパッと切り落としたかのような崖になっている。足を踏み外したら確実に死ぬなと思った。視線を上げてみると、目の前に広がる光景は恐怖や疲労、擦りむいた手の甲の痛みなど、何もかもを吹き飛ばすには十分だった。360°眼下に広がる山々が、3000メートルを超える高さに自分がいることを物語っていた。視線の先には、断崖絶壁の尾根や巨大な爬虫類を思わせる刺々しい岩壁の連なり。僕はぐるりとアルプスの山々に囲まれていた。「ああ、ここは全てが剥き出しだ、剥き出しの大地が果てしなく広がっている」そう思った。僕はただ立ち竦む。人間が立ち入ることはできない山々の連なり。人間がどうすることもできない自然の秩序。人間に何らの幻想さえ抱かせない荘厳さ。どこを見ても手つかずの大地が見渡す限り広がっている。
僕が立つ頂には冷たい風が強く吹き続けている。ジャンパーがばたばたと音をはためかせ、周りに浮かぶ雲は千切れて、素早く形を変えていった。

◇筑波山◇ 霧に覆われた幻想世界と椿の花

東京は晴れた空の中を早朝に出発したのだが、予報に反して、バスが茨城県筑波山神社入口に到着して間もなく雨が降りだしてきた。雨対策をしてこなかった僕は、レインウエアも帽子も持ってきていない。雨が止みそうにない気配に、今日は諦めて帰るかどうしようかと土産屋の軒先で、上空の雲を見上げながら逡巡していた。
でもせっかくここまで来たのだし、行けるところまで行こうと思い、登山道へと向かうことに決めた。山に入っても雨は降り続き、足が泥濘に滑りそうになる。雨音は、時に大きくなったり、時に小さくなったりをくり返し、木の葉からは水滴が次から次と滴り、僕の髪の毛からも雨が滑り落ちてくる。だが、40分経ったくらいだろうか、上空に日が差してきて、雲が薄くなってきたのがわかると、雨足は徐々に弱まっていった。ああ、良かった。僕はこの先の不安材料がなくなったことに気持ちが途端に軽くなった。
しかし、雨足は止むと同時に霧を発生させ、森の奥に進むにつれて、霧は濃さを増していった。先の道は乳白色の霧に覆われて見通せない程だ。立ち込める霧が音を吸い込んでしまうのか、ここはあまりにも無音の世界で、葉や木の枝を踏む音が大きく感じられるほどにしんと静まり返っている。時間は正午近く、上空に目を向けると緑の葉の透き間からは日が差し込んできて、それが霧に柔らかく反射して光の柱を斜めに伸ばしていた。目を閉じて、大きく吸い込むと緑の濃いにおいが胸を満たす。湿っていて、ひんやりと冷たい空気だった。
その場で空気を味わうように立っていると、静寂のなかから、ぱき、ぱきと枝を踏む音が聞こえてきた。目をそちらに転じてみると、人影が霧の中からうっすらと現れた。誰かが下山してくるようだ。その人は僕の目の前まで下りてきて、「どこまでも霧に覆われてすごいね。今まで何回もここに登ったけど、初めてだよ、こんな深い霧を見たのは」と言った。
僕は「この世ではないみたいですよね」と言葉をかえした。「足元が見えづらいから滑らないように気をつけて、さっきそこでも転びかけたんだ」と言って、その場所を指差しながら彼は山を下りていった。ペットボトルの水を飲み、彼が下りていったほうをみると、彼の姿は霧の中に吸い込まれて、やがて完全に見えなくなった。
乳白色の霧の中を歩いていくと、僕と同じくらいの背丈の木の下に枯れ葉に混じって椿の花が一つ落下しているのを見つけた。それはまだ綺麗に咲いている状態で、ついさっき落ちたばかりのようだ。花びらを広げたその姿は、枯葉が周囲を覆い尽くす大地にあって、唯一強い生命力を放っているように見えた。
この椿の花は微生物に分解されて腐り、朽ちた葉とともに地中へと還って自然の一部になっていく。僕はある写真家が撮った自然界の生物を捉えた写真集を思い出した。その中の写真に、野生の中で生き絶えた鹿の死体が時間の経過とともにどう変化していくのかを捉えているものがあった。その鹿は小動物に集られて食われ、そして放置されて蛆が湧き、どんどん腐敗していった。見ている僕は死とはこうゆうものだということをまっすぐに突きつけられる思いがした。最後の写真ではほぼ骨だけが綺麗に残っていた。
僕はこの綺麗な花の朽ちていく姿をここでずっと見ていたいと思った。腐った匂いはどんな匂いなんだろう。この赤い色はいつまで赤のままなのだろう。どんな過程を経て無くなってしまうのだろうか。しかし、それを確認するのは不可能なこと。僕はその落ちたばかりの花を何枚か撮影して、その場を後にした。
ますます霧は濃くなってきて、手の輪郭さえも霞んで見えてきた。ここにいるのは僕一人で、先の道にも、後ろから来る人もいない。この乳白色の世界は果たして本当に現実なのかと疑ってしまうほどだ。先が見えない向こう側を進んだらもしかしたらどこかに迷いこんでしまうかもしれない、そんなことを思ったりするのは、きっとこの現実感の乏しさからだろう。誰か人が通ってくれればいいのに誰も来ないために、どこか足取りも不安げだ。谷の底は霧が覆い隠していて、深さがつかめない。滑らないように気をつけながら、足運びを慎重にして道を進んでいった。
頂上付近に差し掛かると、ここまでは雨雲は来なかったのか、露出した木の根が埋め尽くす道は濡れていなかった。僕は尾根沿いを歩き、進むペースをあげていく。巨大な岩石の後ろには青い空が広がっていた。
爽快な気分で頂上に到着し、遠くまで景色を望む。この山の標高は877mとそれほど高くはない。田んぼの中にある家々の形も分かるほどだ。向こうの民家の上空には灰色の雲が広がっていて、あの雲が午前中に、山に雨を降らせていたのかもしれないなと思った。十分な休憩時間を取り終え、賑やかな周りの登山者の声を聞きながら、下山を開始した。もう雨の心配はないだろう。暑い日差しを避け、木陰を見つけながら歩いて山を下っていく。
つい数時間前まで、深い霧に覆われた幻想的な世界の中を歩いてきたのだ。霧に包まれた世界を歩きながら、いつのまにか、僕はどこかに迷いこんだかもしれないという不安な気持ちになっていた。ここではないどこかと繋がっている境界があるとしたら、今日僕が通ってきたような場所なのかもしれない。

下山途中、あの落ちたばかりの椿の花を探してみたが、どこにも見つけることはできなかった。